昨今、先生方の「忙しい」という声をよく聞くようになりました。
そんな中で、ある先生とちょっと突っ込んで話したときに、以下のような話になりました。
「忙しさ」を自分たちで増産している節はないだろうか。たとえば、掲示物を「きちんと、ちゃんと」作りたいとか。パソコンで作ってきれいに切ってラミネートかけて…っていうことを誰もがやらないといけないような空気感も多忙につながっているんじゃないかな。掲示物の話は「例えば」だけど、限られた「時間」という平等に与えられた「量」をどう使うかは、先生方、人によって違う。「寝る間も惜しんで教育に授業のために使いたい」っていう若い先生がいてもいいし、逆に「家に帰って、我が子に人並みの時間にごはんを食べさせたい」っていう子育て世代の先生だっている。そういうことを配慮し合うための、知恵や工夫を考えてけたらいいんじゃないかな。
「忙しい」ということが、どういうことなのか。
こうした分析ってとっても大事だと思います。
例えば「教員定数の増員」など制度的な見直しが必要なのであれば、『じゃあ、要求実現運動をがんばろうか』となります。また、なかなか持てない視点では、自分たちの働き方をしっかり見直してみるということもあります。前述した先生の声というのは、こうした部分の指摘なんだと思います。
さて、組合に専従がいるということ。これって、とっても貴重なことなんだと思います。
そのうえで、専従の、いわゆる「労働力」をどう活用するのかということは、先生方の普段の学校の業務の上ではなかなか考えないけれど、大事なことだと思います。「専従の労働力」、それはつまるところ、「大事な組合費」でもあるからです。
そして、「ちょっと突っ込んだ話」をすることは、これからの運動につながります。
専従の弱みは、現場にいないということです。そこを補う語り合いが運動を豊かにするんだと思います。
9月は、各支部・各分会で民主的学校づくりの取り組みが進みます。
普段考えていることを語り合う機会になることを願います。