春は出逢いの季節です。「組合、どうですか?」と誘われて、インターネットで検索してこのホームページにたどりついた方もいるかと思います。

 

 

宗谷の先生方はあたたかいと言われます。

 

都会が遠かったり、学校の周りに何もなかったり、だから教育の話をたくさんしてきた文化がそこにはあるからかもしれません。

 

 

今では中堅の先生が、組合に入ってすぐの出来事を次のように話してくれました。

 

 

春の思い出です。南宗谷の小さな街で時間講師をしました。お給料がとても少ないながら、先生方と子どもたちに恵まれて学校で働くことの楽しさを知りました。

 

宗谷に赴任して「組合はふたつある」ということを初めて知り、宗谷教組に入りました。

 

分会長さんが「稚内で教採学習会があるから、試しに行ってみない? 連れて行ってあげるから」と誘ってくれました。

 

猿払を通って、稚内空港に抜ける裏道をうねうね通って稚内につきました。

 

分会長の先生は、時間をつぶしにどっかに行ってしまいました。そうして、教採学習会に参加しました。

 

自分と同じような立場でがんばる元気な先生が稚内方面にはたくさんいることを知りました。

 

その日は、天候が悪く、稚内からの帰り道は吹雪いていました。もちろん、今のようにバイパスなどはないので、時間もかかります。

 

そんな中、仕事を切り上げて稚内まで往復してくれた分会長さんには「ありがたいなぁ」と思う一方で、「どうして、ここまでしてくれるのかな」とさえ思っていたのは言うまでもありません。

 

月日が流れて、正採用になって10年ほど。その時見た「稚内方面の元気な先生」の中には、今でも顔を合わせて組合のこと、学校のことを話すほどの仲の先生もいます。

 

 

 

この先生の「教採学習会」の思い出は13年前のことです。

 

その時代から比べると、便利になりました。

 

道路を見ても、豊富・幌富バイパスや、稚内猿払線が整備され、稚内への時間的距離は短くなりました。

 

ケータイの電波の改善、そしてスマホの普及。便利ですよね。

 

 

 

ただ、忙しさは増しています。もしかして組合に集うことに向かう心理的距離は遠くなっているのかもしれません。

 

 

 

この思い出を語ってくれた先生はこんなふうにも話してくれました。

 

「時間講師で給料が安かった分、いろんな先生におごってもらった」と。

 

そして、よく言われたのは、

 

『後輩ができたら、その時はおごってあげるんだよ』の言葉。

 

 

 

「お互い様」ということを感じますよね。きっと宗谷の先生方は助け、助けられ先生として立派にがんばれるようになってきたんだと思います。だからこそ、考えるんだと思います。

 

『今度は自分で、何ができるかな』って。

 

それは、食事の時だけじゃなく、その学校の先生として学校づくりで力合わせをする場面でも。